眠く憂鬱な朝に訪れた幸運

寝ることが大好きな私が小さな幸せを感じる時は、例えば朝、目が覚めたもののまだ寝ていたい、そんな時に。「あぁ、眠たい。でももうこんな時間。仕事に遅れてしまうから、二度寝はできないし頑張らないと。」と、なんとか自分を奮い立たせている中で、ふと携帯の日付を確認すると何やら違和感が。まだ起きていない脳味噌を動かして判明したのは、今日は仕事が休み、もしくは日曜日だった瞬間。「やった!しめたぞ!まだまだ寝ていられる!」と、先程まで“起きなければならない”という悲しい使命感を背負い、気分が下がっていた後だったのでとても嬉しく幸せな気持ちになってしまいます。更にこんな時に決まって私は、何故かあんなに眠かったのに“こんな早い時間から余裕がある”“寝てても全然大丈夫な状況”という事がテンションを高めてしまうのか、すっかり目が覚めて洗濯や掃除を始めてしまうのです。いつでもお昼寝出来るぞと考えながらテキパキ家事をこなしていると、なんだかんだで買い物にも出掛けてしまったりして。そうしているうちに午前中のうちから家事が終わってしまった日には、その清々しさと、午後から何をしようかな?まだまだ時間はあるぞ、という余裕を持った心を持つことが出来ます。そんな“心の余裕”を感じた時に私は「あ、いま幸せだな」と感じてしまいます。とても小さな事ではありますが、自分の意に反して、ふと訪れた幸運や出来事は人を幸せにさせるものだと思います。こういう日に外出すると売り子さんにふいに話しかけたくなってしまったりする自分がいます^^

しりとりに気付かされた幸せ

私が小さな幸せを感じる時は恋人としりとりをしている時です。しりとり?笑とバカにする方も多いと思います。ですが、彼と二人でベッドにゴロンとして時間やバイト、勉強のことなど何も考えずにただただ二人でしりとりをする。そんな時間が私はとても好きです。最初はただのしりとりでしたが、最近はあめ→めだか→カラオケのように、どんどん文字数を増やして行くというような少し凝ったしりとりに変化していき、その分難易度も上がるのですが、お互いに相手より先に思いついたら3秒くすぐりに我慢できたらヒント教えるといってそのヒントを教える流れも私は楽しいです。罰ゲームは前髪カットの刑です。しりとりをしていると、ふと、ああ幸せだなと感じます。私は母子家庭の一人っ子で彼と付き合うまでは母は仕事で帰りも遅く、一人でいることが多かったです。そのため、遊ぶといってもテレビを見たりテレビゲームをするくらいで誰かと楽しさを共有することがほとんど出来ませんでした。ですが、彼と付き合い始めてから、こんなにも誰かとその場その場で楽しい、嬉しいといった感情を共有することが幸せだ、ということに毎日気付かされます。そんな日々の中で、私にとってのしりとりはとても大事な彼との小さな幸せなのです。おそらく、このしりとりもいつかは飽きてほかの遊びになっているかもしれません。ですが、私はきっと幸せを感じることのできた彼とのしりとりをした思い出は、ずっと忘れることはないと思います。

小さな幸せと大きな幸せを感じる日曜日

3人の小学生の子育てと、渋谷の歯科医院でのパートをしている35歳です。時々渋谷の処方箋薬局にも手伝いに行きます。料理、洗濯、掃除、子供達の宿題、習い事の送り迎え、ときどき朝の旗振り当番、仕事、自分の身支度…と、毎日朝から晩までバタバタで、月曜日から土曜日は仕事があります。朝起きるのがほんとうに苦手で、平日は子どもたちも朝ギリギリまで寝ているので「はやくしなさーい」と、険しい顔をして叫んでいます。そんな日々のなか、日曜日の朝、目が覚めて時計を見たとき「やばい!遅刻!!」と思って布団から飛び起きたけど、10秒後くらいに、休みだと気づいて「はぁ?、よかったぁ?」と安心してまた布団にぬくぬくもぐったとき、幸せ?と感じます。日曜日も日曜日で、いつもの家事と料理と、子どもたちの習い事もあり、準備や送り迎えで忙しいのですが、自分の歯科医院での仕事がないだけで、すごく気持ちが楽になり、笑顔でいられる時間が増えます。子育てしながら、夕方で帰宅できる仕事ができていることにとても感謝していますが、でも、医療の現場なので人とのコミュニケーションがとても大切で、責任感を持って勤務していると、気が張ってしまい、月曜日から土曜日までは、なんとなく心から笑顔で笑える時間が少ないです。なので、唯一仕事のない、オフの日曜日は、私にとって一番かけがえのない幸せな曜日です。時間にあまり追われない、すこしいつもよりゆっくり布団にいられる、小さな幸せを感じる日曜日の朝ですが、その一日は、ふっと楽になって笑顔になれる、幸せを感じる大好きな一日です。

料理下手の私による手料理

私がズバリ小さな幸せを感じる時は自分の作る料理が美味しかった時。
私はつい最近主婦になったばかり、調味料のさしすせそも知らない、大さじ小さじの分量も分からないような女でした。母の美味しい手料理やレストランのプロが作る料理、とにかく私は今まで美味しいものだけを食べて育ってきました。周りが美味しい料理だけを準備してくれるものだから、私はその甘い環境に漬け込みどんどん味の虜になって現在に至るのです。
母は如何なる者も台所には立たせない人間だったので、当然私は料理をしたことがなく、主人と出会った当初は彼の方が料理が上手でとても悔しい思いをしたことがあります。
それから私は独学ではありますが、少しずつ料理の勉強を始めました。調味料の入れ加減や、見栄えの良さの追求、時間や手間のかからない簡単な調理法等を探求し彼よりも、もっと言えば母よりも料理上手になってやろうと考えていました。
インターネットからの情報も活用し、レシピサイトで美味しそうな料理をピックアップして作って見たり、新聞に設けられたレシピコーナーから情報を得たり、話し相手サービスでアドバイスをもらったり、とにかく出来ることは色々試してみました。
主人はとても優しい人間なので、私の作る料理に文句を言ったりは絶対にしません。
しかし、美味しいという言葉もなかなか出ません。
正直自分でもわかるくらい私の料理は微妙な味です。美味しいとは思えない仕上がりです。
しかし、あるクリスマスの日、私はそれはそれは盛大にパーティーをしようと購入したチキンやケーキの他に料理を作ることを決意しました。
その日に作ったライスコロッケが自分でもびっくりするくらいに美味しくて、主人も初めて美味しいと笑顔を向けてくれました。そのことがすごく嬉しくて今でも彼の表情はよく覚えています。
その日から彼は私の料理は美味しいと言って話してくれるようになりました。私もまだまだ満足はしていませんが最初に比べると随分上達したなと感じます。
たまに自分の料理が成功すると、とにかく嬉しくて仕事の疲れも吹っ飛ぶような気持ちになれるのです。
幸せを感じる瞬間だと思っています。
まだまだ未熟で、到底母のあの絶品の手料理には届きませんが、それでも少しずつ成長している自分を感じることが小さな幸せです。

食べたいものに出会えた幸せ

私の職場の近くは飲食店が多いので、よく皆とランチをすることがあるのですが、毎週金曜だけは1人だけ遅番なので1人でのランチです。
ある金曜日、いつもの通りとは少し離れたところにパン屋さんを見つけたので行ってみたところ、とても美味しくて本格的なお店で感動しました。ですが小さなお店だし、2人でやっているようなので並んでいるパンも少なく、すぐになくなってしまうので皆には秘密にしていました。隠れた金曜日の幸せな時間と考えていたのです。
ですが、その毎週通うパン屋さんでも唯一出会えていないパンがあります。それは「あんこクロワッサン」です。あんこ好きの私からしたらたまらない商品なのですが、人気のようでいつも品切れで、見たことがあるのはネットの中だけです。
そんなある日、ちょうど新宿の調剤薬局に用事があって金曜日に有休をとったので、いつも行くパン屋さんに開店時間に行って見たのです。するとあのあんこクロワッサンが焼きたての状態で並んでいました。大人気ないのですが5個並んでいる中で2個購入。あまりにも嬉しそうだったのか「いつもよりも早いですね。このパン初めてですよね。」とお店の人に笑われてしまいました。すぐ近くの公園で1つ熱々の状態で食べたのですが、いつも売り切れているのが納得の美味しさでした。
ずっと食べたいと思っていたものをやっと食べられた時ってこんなに幸せなんだなとほのぼのした気持ちでした。特別な幸せではありませんが、なんだか1日ハッピーに過ごせた出来事でした。

柔軟剤の香りに喜ぶ娘の笑顔が私の宝物

我が家には小学3年生のむすめがいます。そろそろお洒落に目覚める時期で、毎朝学校に来て行く服を長時間かけて選んでいます。洋服が大好きな娘のために、私は良い香りのする柔軟剤を選んで洗濯をしています。
先日、小学校でお友達から「いつもいい匂いがしていいな」と言われたと娘が喜んで学校から帰ってきました。その日以来、娘は毎朝嬉しそうに匂いを嗅ぎながら洋服を選ぶようになりました。ニコニコと嬉しそうな顔に毎朝、私は幸せをもらっています。
また、洗濯物を取り込んで畳む際に、娘がよくお手伝いをしてくれるようになりました。柔軟剤の香りを嗅ぎたいからお手伝いをしてくれるようで、お日様に干してフワフワになったタオルなどにそっと顔をうずめたりしています。私に洗って綺麗になった洗濯物を汚してはいけないと言われるのではないかと思っているのか、一度顔をうずめた後は気付かれないようにこっそりとうずめるのです。見つからないようにこっそりと顔をうずめた娘の顔は、何とも言えないくらい幸せそうです。顔をうずめていることに気が付いていないふりをしてこっそりと娘を見る瞬間が、小さなことだけどこの上なく幸せだなと感じます。いつか娘も大きくなり、一緒に洗濯物を畳んでくれることもなくなるかもしれません。もっと成長をすればお嫁に行き、我が家を巣立っていくかもしれません。そう考えると、この小さな幸せを大切に毎日をすごさなければいけないなと思います。最近の私の趣味は、良い香りのする柔軟剤探しです。娘が喜んで洗濯物に顔をうずめてくれるかなとワクワクしながら柔軟剤を選んでいます。
娘のお友達が遊びに来るから外壁サイディングリフォームして綺麗な外観にしようと思います。

優雅な一人のお出かけ

子供の学校でPTAの役員を務めていますが、行事や事あるごとに会議や役員間の連絡等に忙しい時期が多く、家事と子供の世話をするだけであっという間に1日が終わってしまいます。竹の塚で処方箋薬局の仕事をしたいのですが、夫の仕事の都合で短期間で転勤を繰り返しているので、外で働くこともできず自由に使えるお金もほとんどありません。元々、そんなに家事や子供が好きではない私は、子供の事や家のことに非協力的な夫に毎日苛立ちを抱えてピリピリしています。
そんな私のストレス解消は、月に1回1人でウインドウショッピングやお一人様ランチで好きな物を食べてくることです。普段は、子供や夫の好みに合わせて食事を作っているので自分の食べたい物を作ることはほとんどありません。私はパスタが好きなのですが子供があまり好きではないため、パスタを食べる機会があまりありません。パスタ専門店でたくさんあるメニューから好きな物を選んで、ゆっくり食べられるのが私の小さな幸せです。人が作ってくれた物は、とても美味しく感じます。
買物は、買う時もあれば買わない時もありますが、自分の入りたいお店に入って好きな服や雑貨を見るのが贅沢な時間だと思います。これを着たらどういう雰囲気になるかやその服を着てどこに出かけるかなどイメージするだけでワクワクします。子供が学校に行っている間の時間だけなので、移動時間を差し引くと4時間程度で買物とランチを楽しむので物足りない感じはありますが、帰宅後に充実感があります。翌月の外出までまた頑張ろうと思えるエネルギーになります。

いっぱいの愛溢れる寝顔に祝福を

0歳6か月になる娘を持つ母です。池袋の処方箋薬局で綴っています。
妊娠時、自分が子供を上手く育てられるか本当に不安でたまりませんでした。そもそも、女の子ですとお医者様から言われた時に多少がっかりしたので、本当は男の子が欲しかったのだと気付かされました。
しかし、生まれてきた娘はあまりにもかわいらしい顔をしており、目が大きく二重でぱっちりとし、生まれた1日目からニコッと笑顔を向けてくれました。
その娘が6か月のハーフバースデーを迎えました。現在はすくすくと成長し、どちらかと言うとぷくぷくの肉だるまちゃんになりましたが、むちむちとした太ももやお腹や腕は触ってても飽きず、張りのあるつややかなほっぺたに、よだれまみれの口周りなど赤ちゃんならではの可愛さが溢れています。
その娘の寝顔を見ているのが、本当に育児に苦労していても癒される一時です。
昼間はなかなか寝ないで、手足をバタバタさせてゴロゴロ寝返りをして壁にぶつかったり布団からずり落ちてみたり、少し目を離せば携帯の充電器やティッシュや読みかけの本に手を伸ばして口に入れようとしますが、娘は夜になると今までがウソのようにすっと寝てしまい、20時ごろに寝付くと朝5時ごろまで起きません。
手のかからないとても親思いのいい子で、キュッと一文字にしまった唇が妙にかわいくて思わずキスしたくなってしまいます(虫歯が怖いのでしませんが)
世間ではとても辛辣な事件が多く、子供が生まれるまではただ上っ面でかわいそーとだけしか思っていなかった事件や事故も、娘が生まれてから報道を聞くとどれも心臓がぎゅっと掴まれる思いです。
こんなにも愛らしい寝姿で寝ている小さな小さな子供を、虐待したり放置したり不可抗力の事故で亡くしてしまうなど想像もできません。
娘が安心して大きなお布団で万歳して寝ている姿を見るのが、今の私の幸せです。
今日も頑張ったねと、思わず褒めてあげたくなります。
一日一日成長して、昨日できなかったことができるようになっていたりすると、本当に頑張っていると感心します。
明日からまた、娘が生きる世界が幸せでありますようにと願い、私も娘から幸せを分けてもらっているんだなと寝顔を見て思います。

彼氏と手を繋げることにささやかな幸せを感じる

私が小さな幸せを感じる時は、彼氏と手を繋いで歩いている時です。
20代になると子どもの頃のように、誰かと手を繋いで歩く機会なんてありません。
だから街中で他のカップルが手を繋いで歩いているのを見ると、彼氏がいない頃からずっと羨ましいなと思っていました。
その羨ましいを今叶えることができるのが、幸せだなと感じます。
手を繋ぐタイミングも、自分から彼の手を繋ぐよりも彼の方から手を取ってくれた方が何倍も幸せと感じますし、数ヶ月手を繋いでいない方が幸せだなと感じるのであえて自ら彼の手を繋ぎに行きません。
普段デート中の移動手段は車なので、手を繋ぐタイミングがそもそもないので、余計に幸せに感じます。
付き合う前や付き合いたてでまだ彼の車に乗ってデートしていなかった頃の、思い出の場所を巡りながら手を繋いで歩くのは幸せだなとふと思います。
歩きながら話している内容は、日常的な会話で変わった話は特にしませんが、ただ手を繋いで歩いているだけで幸せだなと感じます。
すごく幸せすぎてどうしようというほどの幸せではありませんが、付き合って何年経ってもこうして2人でおしゃべりしながら、手を繋いで歩くことのできるという状況に小さな幸せを感じて、こっそりと幸せを噛みしめています。
このあいだ、千歳船橋の調剤薬局に行ったときも薬局を出てからつないでくれました。
SNSに投稿したり、友人の誰かに自慢するほど大きな幸せではありませんが、今日は幸せだったなという気持ちで手を繋いで歩いた日は余韻に浸って1日が終わっていきます。

自分の時間を自分の為だけにわがままに使おう

私が「小さな幸せを感じる時」は、一人の時間を満喫している時です。
シングルマザーで二人の子供を育てていると、仕事に家事に育児にと毎日、時間が足りなくて、自分の時間はなかなか取れないものです。
だけど、自分が疲労困憊してくると、だんだんと周りに優しくできないものですよね。
年に数回、「自分の時間を、自分の為だけにわがままに使う」ていう事が、幸せを感じます。

どういうところで自分の時間を使ってるかというと、一人で映画を観たり、ひたすら読書をしたり、一人で寺社仏閣巡りをしたりします。
本当に観たいと思った映画を観に行って、映画を観ながらチュロスを食べる瞬間がほわんとします。
映画の内容には関係なく、映画を観終わった後、スッキリした感じがしてるような気がします。

読書では、本の世界に入り込んでいく瞬間がなんともいけない感覚が好きです。
心と体が本の中にスーッと引っ張り込まれていく感覚が、現実の世界から切り離されていくのが心地よいと思います。

寺社仏閣巡りでも、読書と同じような感覚があると思います。
寺社仏閣の敷地に足を踏み入れた瞬間に温度と空気が変わるような、いつまででも居れるような厳かで不思議な空間がとても好きです。
御朱印を頂いた場合は、後から頂いた御朱印を見返す時間も楽しいです。

実際はこんなことは年に数回できるかできないかです。
やはり、子供が最優先になりますので。
でも、ほわんとする時間を楽しみに、日々頑張れているなと思います。